高位脛骨骨切り術と半月板縫合 ⑧術後2ヶ月|回復と焦り

HTO体験記

これはあくまで私個人の体験ですが、術後2ヶ月ごろの様子をまとめています。


動物園に出かけた日

術後1ヶ月が経つ頃、あまり遊びに連れ出してあげられなかった子どもたちのために、動物園へ出かけました。

動物園は広く、ゆるやかな坂が続くので、あらかじめ無理のないコースを決めて行きました。
松葉杖は、かえって邪魔になるのではないかと考えて置いていきました。

1歳の子はベビーカーも使いましたが、浅い下り坂でも、ベビーカーを引いたままくだるのは大変でした。

脚を棒のようにして歩いていると、夫が
「そんな状態だとは思わなかった。治ったと思った」
と言いました。

この手術をして、この短期間で治るわけがないので、私はびっくりしました。

家事や育児で家の中を動き回っていた私を見て、ほとんど回復したように見えていたようです。

「治るわけないよ。歩きにくいし、痛いんだよ」
と伝えましたが、それ以後も常に「もうそろそろ良くなったんでしょ?」という感じでした。

周りからは、どのくらい大変なのかがわかりにくいようです。
ママ友さんからも、松葉杖を使わなくなったとたんに「もう良くなったんだね」と言われることもありました。

夫にとっては「退院した=治った」、
知人にとっては「松葉杖が外れた=治った」、
そんな感覚なのかもしれません。

私も、自分が体験するまではそうだったのだろうと思います。


長時間の外出で感じた限界

この日、動物園には10時から14時半くらいまで滞在しました。

お弁当を持参していたので、お昼はピクニックでしたが、その頃には足が重く、動かしにくくなってきていました。
少しの段差でもつっかかりやすくなっていたので、シートの上でマッサージをしたりして休憩しました。(この頃は、膝まわりや股関節を軽くほぐすようにしていました。)

午後には、もうどこにも回れないな、出口まで少し遠いな、と心配していました。
それでも子どもたちがいるので、頑張るしかありません。

出口までの道の途中にアスレチック遊具があるなどして、最後まで体力は削られました。
さらに、夫が花粉症の薬を飲んだから眠いと言い、運転も任されました。

家に帰ってからも、夜ご飯の買い出し、料理、子どもたちのお風呂、そして寝かしつけまで終えたら、私も泥のように眠りました。

動物園は、まだ少しハードルが高かったかもしれません。
でも、行けた。少し前には想像もできなかったことをやり遂げて、確実に、少しずつ、良くなっているんだと思いました。

ただやはり、今後はあまり無理をしないでいこうとも思いました。


リハビリ担当が変わったこと

入院中からお世話になっていた理学療法士さんが産休に入り、担当が変わりました。

別の方になることで、きちんと引き継ぎされるのか不安がありました。
でも、その方は事前に手術前のレントゲンから確認してきてくれていました。

さらに、実際の体の状態を知るために身体チェックもしてくれ、その方なりに理解を深めようとしてくれていたので、すぐに安心できました。

説明してくれたことがどれも「なるほど」と納得できる内容だったので、毎回、自分が今どういう状態なのか、不安なことは何でも聞くことができました。

正直、はじめは「家でもできることなのに、わざわざ通院している」という気持ちもありました。
でも、家ではできないことや、通院する意味を感じ始めたのもこの頃です。

日常生活を送る中で感じたたくさんの変化を共有することで、心身ともに調子を整えられる大事な時間になっていました。

この手術の大変さを本当にわかってくれるのは、こういう方たちなのかもしれない、とも思いました。

入院中に「大きな手術をしたからね…」「骨を切っているからね…」と言われた時には不安しか感じなかったのに、今はなぜかそう言われると安心するのです。

焦ったり不安になったりするときも、リハビリに行くと「地道にこつこつやれば、きっと大丈夫」と思えて、気持ちも整う場所でした。


疲れが出始めた頃

退院して1ヶ月ほど生活した頃(術後1ヵ月半頃)から、疲れが出始めました。

「歩けさえすれば」
「走れさえすれば」
「しゃがめさえすれば」

そんな思いが重なっていきました。

1歳と5歳の子どもたちは、自分の人生を謳歌しているわけですが、こちらはどんなに苦労をかけても、それがそのまま成果になるわけではないのが育児です。

「こんなに大変な思いをしてこうしたのに」
「こんなに大変なのを無理して、せっかくこうしたのに」

そんな気持ちが続いたとき、一目もはばからず涙があふれ出てしまいました。

子どもはとっさに、自分のせいで私が泣いていると思ったようで、「ごめんなさい」と泣き出しました。
それでも私は涙が止まらず、「疲れているからごめんね」としか言えませんでした。


焦りを感じていたこと

回復している、と実感することが増える一方で、まだまだ地道に時間がかかるとも感じていました。

颯爽と犬の散歩をする女性を見かけたとき、
「またあんなふうに歩けるのだろうか?」
と、ぼーっと眺めていました。

この先、歩き方はあまり変わらないのではないか。
これは後遺症なのではないか。
手術は本当にうまくいっているのだろうか。
そんな不安が浮かぶこともありました。

まだ深くしゃがむことはできない時期で、それを気にしていたからか、夢の中でしゃがんでしまうこともありました。
目が覚めたとき、「しゃがみたい」とうずうずしたのを覚えています。

いつの間にか、焦ってしまっていたのだと思います。


まとめ

術後2ヶ月ごろは、できることが増えてきた一方で、外出の負担や生活の疲れ、気持ちの揺れも大きくなってきた時期でした。

少し前にはできなかったことができるようになっても、それで一気に楽になるわけではなく、回復にはやはり時間がかかるのだと感じました。

この時期には縫合糸膿瘍になり、想定していなかったことが起こり不安になりました。
このことは次の記事にまとめます。

それでも、少しずつ前に進んでいる実感はありました。
焦る気持ちがあっても、その中でできることを重ねていく時期だったのだと思います。


※本記事は個人の体験です。回復の経過には個人差があります。

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