心と暮らし│「話せば分かり合える」を手放しました

心と暮らし

私は「自分が相手を嫌な気持ちにさせたなら、その理由を知りたい。直せることなら直したい」という前提で人間関係を見てきました。

だから当然、相手も同じように

「自分が悪かったなら知りたい」
「傷つけたなら直したい」
「お互い少しずつ修正して関係を良くしたい」

と思っているはずだ、と考えていました。

良い関係を築きたければ、そうでなければならないと思いました。

価値観の違いがあったとしても、それはその話し合いの中で

「そっかあなたはそういう考え方なのね」「私はこう思うよ」「それじゃあどうしようか」と歩み寄りながらすり合わせてどこかに着地するものだと思っていました。

必ずどこかに「正しい答え」があって、みんな最終的にはそこへ向かうもの。

この考え方では、

「なぜこの人は分かろうとしないんだろう」
「どう説明したら伝わるんだろう」
「私の言い方が悪いのかな」

と延々と考える必要がありました。

ここ最近のことですが、
「ちゃんと話せば分かり合えるはず」
という前提は崩れました。

これは過去の私から見るとバッドエンドですが、

今の私にとっては、「安心」というハッピーエンドへの第一歩なんだと思います。

分かり合えないと認めること

「価値観の違い」という言葉はよく耳にすると思います。

人間関係があって、そこに価値観の違いが生まれるのではない。

価値観が違う同士が出会っていて、その人と自分の、「何を大事だと思うか」「何を当然だと思うか」「どこまで自分を変えて関係を維持するか」には違いがある、ということです。

そして大事なのは、価値観が違うからといって、どちらかが必ず間違いということではないということです。

たとえば

  • 家族なら頻繁に連絡を取り合うものだと思う
  • 家族でも必要なときに連絡を取れば十分だと思う
  • 問題が起きたら、できるだけ話し合って解決したい
  • 合わない部分は無理に解決せず、距離を取るほうがいいと思う
  • 気持ちは言葉にして伝えることが大切だと思う
  • 言葉より行動で示せば十分だと思う

こういう違いも、価値観の違いなのだと思います。

(もちろん、相手の安全や権利を傷つける行為まで「価値観の違い」で済ませていいという意味ではありません。)

これまでは「話し合えば分かり合えるはず」という前提で相手を見ていたので、どんな相手でも最終的には分かり合える、と思っていました。

でも実際には、何を大事だと思うか、相手の気持ちをどこまで考えるか、話し合いそのものを大事だと思うかまで違う人がいる。

しかもそれは、「こちらの説明不足だから分からない」のではなく、分かろうとする動機や優先順位そのものが違うこともあるようです。

でも、
“この人とは、この部分では本当に分かり合えないのかもしれない”
と認めることも、現実を見ることなんだと思いました。

それは冷たいことでも、諦めが悪いことでもなくて、相手を変える課題と、自分がどう生きるかの課題を分けることでもあるのです。

その人が、関係の中で何を大事にしているのか

「分かり合えるはず」という前提を手放してみると、その人が関係の中で何を大事にしているのかも、少し見えやすくなりました。

口では「大事にしている」と言っていても、こちらが「これはつらい」「こうしてほしい」と伝えたときに、

「分かった。気をつける」

となるのか、

「そんなのあなたが我慢すればいい」

となるのか。

そこには、その人なりの関係の作り方が表れるのだと思います。

その結果、関係が良くなることもあれば、

「この部分では、そもそも合わなかったんだ」

と分かることもあります。

でも、それは必ずしも失敗ではありません。

今まで「分かり合えるはず」という前提によって見えなくなっていた違いが、見えるようになっただけなのかもしれません。

そして私は、

「相手が分かってくれれば安心できる」
「相手が変わってくれれば大丈夫」

と思うところから、

「相手がどうする人であっても、私は自分の選択ができる」

という安心へ、少しずつ変わってきました。

相手を正しい場所まで連れていくことを、自分の役割にしなくていい。

「この人はなぜ分からないのだろう」と考え続けるより、

「私はこの行動をどう感じるのか」
「私はこの人と、どんな距離なら付き合えるのか」

を考える。

そのほうが、自分にできることなのだと思うようになりました。

価値観の違う人たちと

それぞれ持った価値観は、出会う前にはわからず、付き合いの中で少しずつ知ることになるのだと思います。

その時に「この人はこういう考え方なんだな」「この人はこういうことを大切にしているんだな」

「この人とはこの部分で分かり合えない」「私はそれでは疲れてしまう」と感じることもあるはずです。

価値観を尊重することは、すべての価値観を受け入れることではありません。

「あなたはそう思うのですね。でも私はこう思います」

その違いを無理に埋めなくてもいい。

分かり合えない部分があるなら、その部分では少し離れてもいい。

相手を変えなくても、自分がどこに立つかは選べます。

「誰とでも分かり合わなければならない」と思っていた私にとって、それはずいぶん寂しい答えにも見えました。

でも今は、その自由こそが、私の求めていた「安心」に近いのだと思っています。

シリーズ一覧

心と暮らし│人生のテーマについて

心と暮らし|嫌われないために自分を直すのをやめました

心と暮らし|立つのは自分。でも支えてもらっていい

心と暮らし|「もっと大変な人がいる」で、自分の気持ちを消さなくていい

心と暮らし│「話せば分かり合える」を手放しました

コメント

タイトルとURLをコピーしました