心と暮らし|嫌われないために自分を直すのをやめました

心と暮らし

「人を悩ませるのは人間関係だ」と聞いたことがあります。

楽しいことばかりならいいけれど、残念ながらそうはいかないのが人間関係なのです。

また、すごく身近な人や、恩のある人や、親兄弟などは「自分が少し我慢することになってでも仲良くするべき人たち」だと思っていました。

私はそういう人たちに心を擦り減らして生活していました。

けれど今は、一番大事なこと、守りたいものは何かを決めることで、そこから1抜けすることができました。

私の心は、明らかに軽くなりました。

重い心

中学高校時代、「自分の心の中にはヘドロなような暗く重いものが絡みついていて、それが離れてくれない、取り除くことができない」と自分の中で表現していました。そのせいで、体が重く、頭も鈍く、どんよりとしていました。ダークヒーローのヴェノムのあの黒くどろっとした感じです。

花粉症による目のかゆみを抱える人が、「眼球を取り外して洗いたいくらいに痒い」とよく言いますが、私も「このヘドロを洗い流せたらいいのに。この手で引き剥がしてやりたい」とよく思っていました。

今、それが、離れてくれている。という確かな感覚があります。

自分を直せばうまくいく?

いろんなことを考えすぎていたと思います。人の問題まで抱えていたのです。

全部、自分でなんとかしないといけないと思っていたし、どこかに答えがあるはずだと思っていました。答えを導き出すまで考え続けてしまう性格でもあります。でも当時は、それを自分の特性ではなく、人はみなそうあるべきなのだと思っていました。

陰口を言われる、職場の人に嫌われる、嫌味を言われる。そういう経験も多々ありました。

自分は普通にしているつもりなのに、なぜこうなってしまうのだろう、と不思議でした。

そういう言動をとらせてしまうようなことを自分がしてしまっているのだとしたら、それはどういうところなのだろう?

一方で、「見ていてくれる人もいる」「分かってくれる人は分かってくれる」「私を褒めてくれる人もいる」ということも、感じていました。大体半々でした。

そのおかげで自分を保ってこられましたが、「自分の何が悪いから、こんなことが起こるのだろう」と本気で知りたいと思っていました。どこに行ってもそういう人はいる。だったら自分の何かを直さなければ、ずっと同じ思いをするのだと思っていました。

人の思いは同じで、目的も同じで、仲良くすることが正しくて健康的なのだと信じていました。

自分の感覚を信じる

産後、いろいろなことが変わりました。6年前です。

胸が張り裂けるような、同じ人間とは思えないような、信じがたい嘘や裏切りや無神経さに、「自分のことを大事にしてくれない人のことは、こちらも大事にしなくていい」と決めたのです。

「こうあるべき」という優等生の皮を脱ぎ捨てた瞬間でした。

私はこれまで、律儀に、教科書に書いてあることを守らなければいけないと思っていたのだと気づきました。

そうしたなか、生活をしていると、今までになかった感覚が研ぎ澄まされていきました。

一緒にいて心地良く、分かれたあとにもエネルギーがみなぎっているような存在と、分かれたあとに耳鳴りがするくらいの静けさと鈍い苦しみを感じる存在がはっきりわかるようになったのです。

後者の場合、しばらく考え続けてしまい、寝つきが悪くなったりしました。

今まで身近で自分の味方だと思っていた人が後者だったりしました。

でも当時の私は、そういう人たちもみな自分を取り巻く大切な存在で、大事にしなければいけないと思っていました。

感謝もあります。いやがらせをされているわけでもない。私のためということもある。平気なふりをしよう。失礼なことを言われても、「ハハハ」と自虐したように笑い、そのあとで一人静かに振り返っては、悲しみや怒りの感情が覗きました。

本当の距離

3年くらい前に、子どもに怒鳴りつけてしまうことに悩んでいました。

同じことが起きたときに、笑っていられるときと、怒鳴ってしまうときがありました。自分のメンタルの波が影響していました。

人間関係で考え事があると、心が沈み、目の前の子どものペースに合わせられなくなっていました。

ある日沈んだ気持ちで子供たちを眺めているときに、ふと、

毎日笑って過ごしたい。子供にとってそれが一番大事なことだ、と思いました。

今私は目の前のこの家族こそが大事だ。そのためには、自分を悩ませるものは遠ざけていい。

欠点を直す人生にはしなくていい。そう、決めよう。

両親からの私自身や育児への指摘。時々突然距離を置く姉。会話の端々から、なぜか上下をつけようとされているように感じる友人。とげのある言い方をする人。

全部「私のため」でも「私のせい」でもない。

自分自身のことだと思っていたことが、突然に、「これ、この人たちの問題だな」と思いました。

少なくとも、その言葉や態度まで私が責任を負う必要はないのだと思いました。

私のヘドロの正体は、人そのものではなく、人の言葉や問題まで自分の中に取り込んで、なんとかしようとし続けていたことだったのかもしれません。

自分の弱いところは自分で分かっている。だからこそ、それを必要以上に傷つける関係からは離れる。

私は、自分を必要以上に傷つける関係から「離れたい」と思いました。

それと同時に、「私が離れようとしても、きっと簡単には離れてくれないだろう」という不安もありました。

それでもそんなふうに気づき、何を一番大事にするか、どうしたいのかを決めることができたら勝ちだと思いました。

初めての心の距離感でした。ヘドロを引き剥がしたのだと思います。

それから

まずは会う回数を減らしました。難しい話が始まりそうになったら、話を逸らしたりして避けました。

自分が安心できる人、意見が違っても私自身を否定しない人とは、今まで通り会いました。

当たり前ですがそうすることで明らかに自分の悩む時間が減りました。

半々の、良いほうだけが残りました。

半々ではなく9:1で「あなたはそのままでいい」と感じられる人生です。

もちろん、いつもすべてが心地いいわけではありません。人は完璧ではないからです。
それでも、その「1」は私自身を否定されるようなものではありません。

自分は悩みやすい人間なんだ、と思っていました。
でも、人間関係を変えるだけで、悩んでいる時間そのものがこんなにも減る。
「自分の性格」だと思っていたものの一部は、環境によって強くなっていたのかもしれないと思いました。

人間関係を変えることや、断つことは難しいです。

特に相手が家族だと、なかなか切れないです。

私自身が感じている「癖」も厄介です。

いやな思いをすると分かっていても、これまでの癖で、連絡してしまおうとしたり、誘おうと思ってしまいます。

いやな夢となって出てきて、目覚めたときに連絡をしたくなることもあります。

長く続いた関係には、離れようとするとまた戻りたくなるような、自分でも説明しづらい癖が残っています。

誰とどこまで離れるのが正解なのかは、今も分かりません。
ただ、守りたいものは分かるようになりました。

まず私自身が心身ともに健康でいること。
そして、目の前にいる家族と、できるだけ穏やかに笑って暮らすこと。

そのための距離を、これからも探していこうと思います。

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