先日、息子に聞かれました。
「1人で遊ぶのと、ぼくたちと遊ぶの、どっちが好き?」
私は、
「1人で遊ぶのも好きだけど、みんなで遊ぶほうが好きだよ」
と答えました。
嘘ではないけれど、完全な本心でもありませんでした。
子どものために選んだ言葉でした。
一人の時間が、大好きです
今日、息子が幼稚園へ行き、午前中は娘とたくさん遊びました。
そして、お昼になって娘がお昼寝。
久しぶりの一人時間です。
ハーゲンダッツのクリスピーサンドを食べました。
さらにチョコバッキーも食べました。
温かい紅茶を飲みながら、
「最高だ……」
と思いました。
私はもともと、一人の時間が大好きな人間なのです。
やっぱり一人は最高です。
一人暮らしが、ものすごく恋しくなることもあります。
一人で買い物へ行って、意味もなくブラブラしたい。
居酒屋にも行きたい。
カラオケにも行きたい。
映画も見たいし、海にも行きたい。
一人旅もしたい。
毎日の犬の散歩だって、ときどき一人で行きたいです。
子どもがまだ小さく、お留守番はできないので、それも今はできません。
せめて、このままあと5時間くらい一人でいたい。
でも、それもできません。
あと1時間かもしれないし、20分かもしれない。
もしかしたら1分後に娘が起きて、一人の時間は終わるかもしれません。
頭の中にいる「世間の人」
そんなことを考えていると、頭の中から声が聞こえてきます。
「そんなの贅沢」
「子どもがいるんだからいいじゃん」
「専業主婦なんだから、ありがたみを知りなよ」
すると、別の私が出てきます。
「うっせー。疲れてんだよ。人として一人になりたいときくらいあるだろ」
するとさらにもう一人、
「まあまあ。気にしない、気にしない」
と仲裁役まで登場します。
実際には、目の前にそんなことを言っている人は誰もいません。
「誰かならこう言うかもしれない」
という声が勝手に再生されて、それに反論する自分がいて、さらに仲裁する自分までいる。
人の目を気にするというのは、もしかするとこういうことなのかもしれません。
「もっと大変な人がいる」という打ち消し
中学生くらいの頃、私にとって重大なことで悩んでいたとき、
「もっと大変な人がいる。そんなことで」
と言われたことがあります。
ずっと違和感が残っていました。
でも当時の私は、それにどう返せばいいのか分かりませんでした。
誰かが「生きることがつらい」と訴えているときに、
「生きたくても生きられない人もいる」
と言うことにも、昔から同じような違和感がありました。
それ自体が間違っているわけではありません。
生きたくても生きられない人がいることも、本当です。
でも、その事実によって、今目の前で苦しんでいる人の気持ちが消えるわけではありません。
世界で一番つらい人しか「つらい」と言ってはいけないのなら、ほとんどの人は何も言えなくなってしまいます。
例えば夫に不満を感じても、
「もっとひどい夫もいる」
「暴力を振るわれているわけじゃない」
「生活費は入れてくれている」
と、自分で自分に言い聞かせたり、誰かにそう言われたりして、自分のしんどさを小さくしながらやり過ごしている人もいるのではないかと思います。
比較すれば、我慢する理由はいくらでも作れます。
でも、それで自分の気持ちまで「なかったこと」にしなくていい。
どちらも本当でいい
「働きながら育児をしている人は大変だろうな」
も本当。
「私は仕事がしたい」
も本当。
「生きたくても生きられない人がいる」
も本当。
「私は今、生きることがものすごく苦しい」
も本当です。
片方を認めるために、もう片方を消す必要はありません。
「子どもが欲しい」と言えば、不妊治療をしている人が傷つくかもしれない。
「子育てが大変」と言えば、子どもを望んでいた人が傷つくかもしれない。
「仕事を辞めたい」と言えば、働きたくても働けない人が傷つくかもしれない。
「仕事がしたい」と言えば、働いて疲れている人が傷つくかもしれない。
どんな立場にも、その反対側にはつらい人がいます。
でも、自分の気持ちを表に出す前に、頭の中にいる世間の人全員に「不快感チェック」をしてもらって、それを基準に正しいかどうかを判定する必要があるのでしょうか。
必要なのは、
「誰も傷つけない気持ちだけを持つこと」
ではないと思います。
他人の人生を決めつけずに、自分の人生について話す。
それなら、自分の気持ちは大事にしていいのだと思います。
例えば、
「専業主婦のほうが大変」
「働ける人は楽でいいよね」
と言えば、相手の人生をこちらが評価することになります。
そこには配慮が必要だと思います。
でも、
「私は仕事がしたい」
なら、自分について話しているだけです。
自分の気持ちを、却下しない
昔言われた、
「もっと大変な人がいる」
という言葉が、いつの間にか自分の中で自動再生されるようになったのかもしれません。
私の中の「世間の人」がよく使うのも、この方法です。
誰かと比べて、
「あなたはまだ恵まれている」
「そんなことでつらいと言ってはいけない」
と、自分の気持ちを却下する。
でも、誰かがもっと大変だからといって、私が疲れていないことにはなりません。
子どもたちが大切だからといって、一人になりたくないことにもなりません。
恵まれていることと、しんどいこと。
誰かを大切に思うことと、離れたいと思うこと。
感謝していることと、不満があること。
反対に見える気持ちが、同時にあってもいいのだと思います。
今日の私は、子どもたちのことが大好きです。
そして、できることならあと5時間、一人でいたいです。
どちらも、私の本当の気持ちです。
私の中の「世間の人」は、長いこと審査員席に座っていました。
でも、そろそろ審査員ではなく、参考人くらいまで降格してもらおうと思います。
私の気持ちを最終的に決めるのは、世間の誰かではなく、私でいいのだと思うからです。
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